TED「晒された屈辱の値段」を読んで~人間性の切り売りという産業~

テラスハウスに出演していた木村花さんの自殺を聞いて、

昔読んだこのTEDを思い出しました。

 

www.ted.com

 

モニカ・ルインスキー

アメリカ出身の実業家、社会運動家。

 

ホワイトハウス実習生時代にビル・クリントン元大統領との不倫スキャンダルで、世界中のマスコミの注目を浴びた。

(出展:

モニカ・ルインスキー - Wikipedia

)

 

2015年の講演。

スキャンダルにより、世界的な規模でバッシングされ、長らく世間に姿を見せなかった彼女が、ネット社会の恐ろしさと、彼女が受けた屈辱を語ります。

 

 

晒される個人の出来事 

まず、彼女が語るのは、たとえそれが大統領との不倫だったとしても、個人的な出来事に過ぎなかったということ。

それが公になり、爆発的に広がっていくのは一瞬だったと言います。

この事件が起きた1998年、彼女の事件が初めて報じられたのはネット上で、大きなニュースがテレビ以外で発信される初めてのは初めてのことだったそうです。

友人と話した内容が証拠として議会に提出され、翌日にはテレビで放送され、さらにはネットで聞くことができるようになったと言います。

そして、当時ネット上のコメントやメールで様々な批判を受けました。「石を投げられた」と表現するように、耐えがたい痛みを感じたことでしょう。

屈辱についた値札

 このような、屈辱が公になり爆発的に広がる現象がなぜ起こるのかを、彼女は次のように分析します。人の屈辱が人の注目を集め、たくさんのクリックを促し、広告料につながる。つまり、人の屈辱や個人的な出来事は、商品になるのです。そして、それを文化としてみんなが受け入れている現状があると指摘します。みんながそれをスポーツのような感覚で楽しんでいると。

すべては人間性の切り売り

 私は、「発信する」という行為はすべて、人間性を切り売りする行為だと思います。芸能人、youtuber、ブロガー。彼らは、自分という存在を成す一部分、彼らの行動や思考の一部を商品にして売り出しています。現代という時代においては、その色が濃くなっていると思います。芸能人がtwitterで自分の生活を発信し、リアリティーショーが流行り、アイドルは握手会で触れ合える身近な存在になりました。切り売りするものが大きいほど、商品としての価値が上がります。コンテンツの作り手も、意識して演者と視聴者の距離を近づけています。

切り取られた人の一部に触れるのはとても楽しいです。テラスハウスでは、素直にかっこいいと思えるような人も出てきたり、アイドルの休日を垣間見て、こんな性格なんだろうと想像を巡らせる。現実世界の住人としての彼らに共感する経験は、自分の考えに示唆を与えてくれることすらあります。もちろんそれが、良く見えるように加工されて切り取られた人間性であったとしてもです。

他人による人間性の管理

人間性の切り売りは、すべてその本人の同意の下で行われるべきだと考えます。今回のテラスハウスの事件で浮き彫りになったのは、作り手が演者の人間性を勝手に切り取り、あるいは見せ方すらもデザインして公にしていた状況です。

バラエティ番組が産業である以上、そのような方向性に走るのも仕方ないと言えます。テラスハウスでなくても、そのようなことをしている番組やコンテンツはこの世にたくさん存在しています。それがどのような結果を招くか、そこに対する想像が全くできていなかったのではないでしょうか。

そして、それを消費する我々も、今見ているものが、実在する人間の切り売りであることを意識するべきです。

映画「歩いても 歩いても」を見て、親子の在り方を考えた

映画「歩いても 歩いても」

2008年公開。是枝裕和監督、阿部寛主演。

 

 

 

あらすじと感想

 

主人公の良多(阿部寛)が家族を連れて、良太の兄の命日に合わせて実家に帰省する。

その2日間を描いた物語です。

特に物語は大きな事件が起きることなく進んでいきます。

 

見ているうちに、実際にこういう家族が実在して、

それをのぞき見しているような感覚に陥ることがありました。

特に印象的だったのが、良多が実家に到着し、両親に迎えられるシーンで、

何となく形式ばったやりとりをして、良多の一家3人が家の中に入って行くまでを、

同じ視点からずっと映しているシーンでした。

登場人物は、どこかに向かって演技をしているわけではなく、

それは文字通り、日常を切り取った映像だと感じることができました。

親戚の集まりのやりとりには、なにかよそよそしさが混じっていて、

僕自身が親戚の集まりに行ったとき、おじさんやおばさん、いとこたちと、

どういう距離感で接したらいいのか探り探りだったことを思い出しました笑。

親戚という間柄は、数多くの建前で成り立っているように思います。

 

そういった日常のやり取りの中に、それぞれのコンプレックスであったり、

葛藤だったり、人生の中で割り切れない部分がひとつひとつ描かれていきます。

みんなが、水難事故で亡くなった兄に対しての想いを抱えており、

それが、日常の家族のやり取りの中に見え隠れするのです。

 

そういう細かな感情の機微を表現するディティールが、

良く作りこまれているなと感心しました。

 

理想の親のすがた

 

この映画の大きなテーマになっているのが、良多と父親(原田芳雄)と母親(樹木希林)の親子関係です。

 

理想の親のすがたを考えた時、どんなことを思い浮かべるでしょうか。

これまでの僕が考える、良い親の条件は「できるだけ弱みを見せないこと」でした。

子供が親のことをかわいそうだとか思ったり、まして同情してしまっては、

その家庭は子供にとって、完全な安全圏ではなくなり、

何か貢献をして、役割を担わなくてはいけない戦いの場になってしまいます。

子供が親をがっかりさせたくないということばかりを考えるのは、かわいそうです。

精神的に子供を縛って、彼らの権利や自由を奪っているように感じます。

 

だから、父親は力強く、母親はいつも泰然自若としている。

親とはそんな存在であるべきだし、自分もそうありたいと考えます。

子供の反抗期もけっこう。

それは、子供が家庭内で自由を謳歌している証拠じゃないか。そう感じます。

 

彼らは、理想の親子像と戦っていた

 

良多と両親は、理想の親子としての姿を守ろうとしていたように感じます。

 

良多の父親は、無口であまのじゃくで頑固な人間でした。

それは、家族の大黒柱たるもの、家族には弱みを見せてはいけない。いつまでも、医者として人を救うヒーローでなくてはならない。そう考えていたからじゃないかと思います。

時間とともに確実に老い、力強くたくましい男では居られなくなっていきます。あるべき姿と現実の自分。そのはざまで、落としどころを見失い、素直になれなかったんじゃないかと。

 

また、良多は母親に対し、弱い部分を見せてほしくないように見えました。

いつまでも良太の兄の死を引きずっている母。

母親の人として弱い部分は、なにか見てはいけないようなものな気がします。

腫れ物に触るような、良多の母親に対する接し方には、そんな気持ちを感じました。

 

家族なんて建前の積み重ね

 

家族はなんでも言い合える存在、家庭はどこよりも素直な自分でいられる場所、

実はそうでもないような気がします。

親戚の集まりという場面では特に顕著でしたが、

それぞれが役割を遂行し、周りにもそれぞれの役割を期待する。

結局のところ、家族とか家庭も、そういう建前のようなものの積み重ねなんだと思います。

 

建前を超えて

 

物語の最後のほうに、決定的に父親と母親の役割が崩れるシーンがあります。

何も驚くことではありませんが、父親も母親も人間であり、力が及ばないことや割り切れないものがあります。

良多はそれを目撃する、また両親はそれを目撃される。

これが、家族の役割をやめる、建前を崩すいいきっかけになっていました。

ラストシーンでの、良多と父親の会話には、肩の荷が下りた晴れやかなものを感じました。

 

ただただ、生きて行く

 

好きなセリフがあります。

良太の奥さんが息子に向かって言った言葉

”良ちゃん(良太)はね、これから入ってくるの。じわじわーっと。”

彼もこれから、一人の人間でしかない弱い父親の姿を見ていくでしょう。

 

人間は弱いもので、どこにも完璧な人間はいません。

でも、それでいい。弱い自分を連れて生きて行くだけです。

というより、それしかありません。

その姿を見せるのも、親の役割ではないでしょうか。

大きかった父親の背中はいつの間にか小さくなっているでしょう。

でも人間なんてそれでいいんだと、どこかで納得し、ただ歩き続けるだけです。

 

「人生は運よりも実力よりも『勘違いさせる力』で決まる」を読んだ

 

 

ブログなんかでよく見かけるこの本を読んでみました。かわいいキャラクターと読みやすい文章で、サクッと2時間ほどあれば読めてしまいます。この本で、ビジネスの成功に必要な要素は何かを改めて考え直すことができます。一度は読んでみるべし。

 

「実力があれば評価は後からついてくるよ」なんていう意見をよく聞きます。黙々と努力をして得た実力は、必ず日の目を見ることができる。非常にすっきりとしてきれいな世界観です。もし本当にそんな世の中だったら、だれもが成功を信じて努力に向かうことができる素敵な世界になります。

しかし一方で、社会という厳しい世界では努力が報われるとは限らないと誰もが知っています。「努力は報われる」なんて言う言葉は、人を努力に向かわせるための建前でしかないのです。

 

キーワードは「錯覚資産」

じゃあ、成功するために大切なこととは何か。この本に聞いてみましょう。

人生の成功に必要な要素の一つ。それは「錯覚資産」です。聞きなれない言葉ですが、簡単に言うと、人間の評価と実力のギャップのこと。人が実力以上に評価されるとき、その差額分を「錯覚資産」と呼んでいます。そして大切なことは、実力のうちに占める「錯覚資産」は、皆さんの想像よりもはるかに大きいということです。

 

「錯覚資産」が実力になる

「いかに人をごまかすかって話?いくらうまくやっても、いつか化けの皮が剥がれるよ。」そんな意見が聞こえてきそうです。けど、「錯覚資産」によって真の実力を手に入れることができると言ったら、話が違ってくるでしょう。

実力がなくても、「錯覚資産」を上手に運用し評価が高くなった人には、「環境」が与えられます。これが非常に重要で、その「環境」を与えたれた人間は、周りの人から知識を得たり、挑戦する機会を得ることができます。新しい経験を積むことができ、それまでの自分よりも成長することができるのです。そのスピードは「環境」に恵まれることなく、自分なりの方法で成長した場合よりもはるかに速いことは想像に難くないでしょう。

 

理想のループが出来上がる

こうして得た実力は、次なる成功につながります。この成功によって「錯覚資産」を増やすことができます。このようにして、また次なる「錯覚資産(→評価)→環境→実力→成功→錯覚資産」のループが始まります。実力ももちろん大切ではありますが、錯覚資産をないがしろにしていてはなかなかうまくいかないということが分かったでしょう。

 

ふろむだ氏のビジネス観

「ビジネスがうまくいくかどうかは運である。」けっこう身も蓋もないことを言っています。結局、確実に成功する方法なんてないと、そういいたいのでしょう。僕らにできるのは、成功確率を高める努力だけなのだと。まずはこの事実を認めるところから始まります。決して実力だけではのし上がることができないと知った上で、自分に何ができるのか戦略を立てる。例えば、いろんな人に出会うこと。そうすることで、仕事を回してもらえる回数が上がり、成功に近づく。同じ打率でも打席に立つ回数が多ければ、ヒットをたくさん打つことができる。それでいいのです。

 

みんな錯覚の中で生きている

多くの人が、自分が他人に正しい評価を下す物差しを持っていると信じています。また、ビジネスの成功は自分の努力次第で何とでもなると思っていたりもします。でも、物事を正しく見ることができないのは、その人たちが愚かであることが理由ではありません。人間とはそういう風にできているのです。犬が人間のように二足歩行できなかったり、ゴリラが言葉を操って自分の思いを形にすることができないように。人間が直感で物事を考えるときには、常に間違いが付きまとうのです。

 

錯覚を武器にする

人間が錯覚する生き物であることを知った僕たちには、2つ、できることがあります。

1つは、錯覚を使って人を出し抜くこと。他人と良好な関係を築くのに、正しい作戦をたてることで、自分の評価をしっかり高めてやりましょう。

もう1つは、正しく選択することができるようになること。あなたも人間である以上、この錯覚からは逃れることができません。でもその事実を飲み込めば、自分の直感がずれていることを考慮に入れたうえで物事を判断することができるのです。

 

最後に

今までに述べたような内容について、この本の中ではさまざまな心理学の実験を引用し、だれもが納得できる形で書かれています。科学的事実と実際の現実をうまくつなげていることが、説得力につながっているのではないでしょうか。

心理学を利用しようみたいな趣旨の本においては、他人から自分がどう見えるかについての内容がほとんどですが、自分から見た世界も錯覚があるのだという観点は斬新でした。

そして、この本で書かれているような世界観がすべて正しいとは思いません。僕自身は、隠れた努力が認めらたり、もっと泥臭い方法で成功したりと、この本とは違った成功もあると思っています。ただ、成功という目的地に対しての道のりが一本増えた感じがします。成功への道は、多いほうがいいでしょう。自分で歩きやすい道を選ぶことができますし、ある道がふさがれたとしても、ほかの道に迂回することができます。そういった意味で、この本のような考え方を自分の中に取り込んでおくことは、価値のあることなのではないでしょうか。

「仕事のやりがいとは何か」を読む

英語の勉強を兼ねて、よくTEDの動画を見ている。

面白いものを見つけたので、感想を残しておきたい。

ダン・アリエリー「仕事のやりがいとは何か?」

 

ダン・アリエリーという人物について

ダン・アリエリーはアメリカ人の行動経済学と心理学の学者である。

行動経済学とは

経済学数学モデル心理学的に観察された事実を取り入れていく研究手法である[1][2][3][† 1]

(wikipediaより)

 

お金が人を動かすの?

現代社会は資本主義経済のもとに動いており、労働に対してその対価としてお金が支払われる。多くの人が、お金を支払えば人を自由に動かすことができるという世界観の中で生きている。ダン・アリエリーはこの考え方を、「驚くほど単純」だと言い、なんだか皮肉っぽい笑顔を浮かべる。

 

 

人のモチベーションをなくすもの

ある日、アリエリーのもとに教え子がやってきたときのエピソードを紹介している。彼は銀行に勤め、ある大きな仕事を任されていたが、締め切りの直前でその案件がキャンセルになってしまった。意欲的にその仕事に取り組んでいたのだが、その仕事が無駄になってしまったことを知ってひどく落ち込んだという。

・実験

アルファベットがランダムに羅列されて書かれた紙を配られる。配られた紙のうち隣り合った同じアルファベットを見つけてもらうという簡単なゲームを解いてもらい、1つ解くとその出来にかかわらず報酬が得られる。紙を回収したのち同じゲームを何度も繰り返すことができる。ただし少しずつ報酬が少なくなる。被験者がいつこのゲームを降りるかで、被験者のモチベーションの高さを測る。

ここで、3つの異なったシチュエーションを用意して、その結果を比較した。

A、人に見てもらえる状況

実験者が受け取った紙を、上から下までよく見て、しっかりとした反応を示したのちに、受け取った紙を横に置く。

B、人に無視される状況

実験者が紙を受けとったらそのまま紙を横に置く。

C、シュレッダーの状況

実験者が受け取った紙をそのままシュレッダーにかける。

結果は以下のようになった

 

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数値が高いほど、早くゲームを辞めてしまった。つまりモチベーションが低かったといえる。

 

ふつうに考えてもわかるような結果だが、アリエリーはBとCの違いが小さいことに注目している。自分の仕事の成果が人からの関心を得られないと感じることは、仕事の成果がこの世から全く消え去るのと同じくらいに、人々からモチベーションを奪うのだ。

もし人間が、楽してお金を稼ぐことのみを求める生き物だとしたら、Cの状況が最も都合が良いことになる。なぜなら、実験者が紙を一切見ないのであれば、そのタスクをちゃんとしていようとなかろうと関係がない。いくらでも手を抜けるのである。

 

人のやる気を引き起こすもの

逆に人のモチベーションを呼び起こすにはどうすればいいのか。一つの方法として、自分の仕事の成果への実感を利用することだ。

イケアで家具を買ったことがあるだろうか。パーツを買ってきて、自分の家で組み立てる。普通の家具に比べてひと手間かかるものの、逆に出来上がったものに愛着を感じる。そんな経験を持つ人は多いはずだ。

似たような例としては、ホットケーキミックス。発売当初は水を入れるだけでケーキの生地ができちゃう商品として売り出されたが、全く売れなかったそうだ。そこで開発者は、卵と牛乳をその粉から取り除いた。これで今のような人気商品になった。

・実験

折り紙を用いた実験を行った。ある人に折り紙を作ってもらい、その折り紙に自分で値段をつけてもらう。その折り紙をまたほかの人に見てもらい、値段をつけてもらう。2つの値段を比較する。折り紙を作る際に、説明書を与えるのだがそこに少し細工をした。

A、折り紙の作り方がすべて書かれた説明書を与えた。

B、書かれている図を消した説明書を与えた。

簡単に言うとAよりBのほうが困難な状況なのである。当然、Bのほうが出来上がったものはより完成度の低いものになる。

結果は、Aでは製作者の値段が、第三者の評価額の5倍になり、Bではその効果がより大きくなった。製作者は、客観的に見てより不格好な折り紙に対して相対的に高い値段を付けた。なぜか。それは自分が苦労した度合いが大きいからである。自分が苦労した分だけ、出来上がったものに対しての評価が上がるのだ。

 

感想

まあとにかく、人に評価されること、物事に対していかに自分が貢献しているか実感できるか、ってことはとっても大事なんだということです。何となくみんなが感じているような迷信めいたものに注目し、実験を経てずばりと客観性を与える。心理学とか人間の感情を相手にする学問は楽しそうだなと思いました。

この、ダン・アリエリーのニヒルな笑みがすごくかっこいい。いかにも何かを知っていそうで、何となく世の中を斜めに見ている感じ。こういう実験をしていると、どれだけ人間が単純な生き物かってことがわかるのかな。なんていうか、愚かに見えたりするのかもしれない。勝手な想像ですが。

 

この教訓をどう活かすか

この話を聞いてまず思ったのが、趣味を公開することの大切さ。例えば読書をするのであれば、ブログなんかを書いてみるのもよし。自分のモチベーションを高めるうえで、人に見せることは非常に大切なんだなということが分かります。

私は、いろんな考えをブログという形で披露することが大切なのではないかと感じてブログを書き始めました。